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ナチュラル・ホースマンシップ_バック・ブラナマンに学ぶ人と馬の優しい関係

現代の傑出したホースクリニシャン、バック・ブラナマン氏。ここではそのクリニックをアメリカ取材でお届け。馬との接し方にウエスタン、ブリティッシュという枠はない。馬に乗るすべての人へ、大切なメッセージをお届けしよう。

Event Report 2018.09.01

ナチュラル・ホースマンシップ_バック・ブラナマンに学ぶ人と馬の優しい関係

「馬は持ち主の心の鏡だ」とブラナマン氏はいう。問題のある馬は持ち主の問題を反映している。実は彼は馬を調教しながら、持ち主の人間の心を変えているのだ。Photos:Yasuo Konishi

 フォートコリンズの郊外に牧場を持つルーアン・グッドイヤーさんが1997年から毎年主催しているブラナマンのホース・クリニックは、これまでは自分の牧場を会場としていたが、2年はコロラド・ステート大学の屋内アリーナを借りて行った。実はその前年に、バック・ブラナマン(以降バック)のドキュメンタリー映画“Buck”がアメリカで公開され、サンダンス映画祭の観客賞をはじめいくつもの賞を受賞し一躍時の人となった。そこで、映画への興味から観客が増えることを考慮し、これまでより大きな会場を選んだのだ。

今回のクリニックには27人馬の参加者と約700人の観客が集まった。オリンピックの選抜メンバーからビギナーまで参加者の力量もまちまち。ここから4日間のクリニックがはじまる。

 

 クリニックの参加者には馬術の競技者もいる。たとえば、2012年の2月にカリフォルニアのパサデナで開催されたクリニックには08年の北京オリンピックで優勝したアメリカ障害飛越チームのメンバーであった、ウィル・シンプソン選手が参加した。こうしたトップライダーを筆頭に多くの馬術の競技者も参加しており、ブリティッシュ、ウエスタンという垣根を超えて、バックの能力は高く評価されている。
 バックは1983年、21歳のときにモンタナ州で初めてクリニックを開いた。約35年を経て、現在のクリニックは初心者による調教や新馬の調教から牛に関わる作業、ローピングなど牧場作業に即したものまで6種類のプログラムが用意され、そのいずれかが選ばれる。いずれも4日間のコースで、自馬を連れての参加が基本だ。

 今回は午前に初心者もしくは調教がほとんどされていない若馬を対象にしたファウンデーション・ホースマンシップ、午後は午前からワンステップ進んだホースマンシップ1が行われた。それぞれのクリニックに27人馬が参加したが、午前午後の両方のクラスを取っている参加者もおり、どちらかだけの参加者も自分がアリーナに立たない回は観客席から熱心に見学していた。
 ルーアンさんは97年からクリニックを主催しているが今回は初めて尽くしだったという。参加者の多くが初参加で、延べ700人の観客数も記録破り。予想通り映画の効果だろう。

左右に馬の頸を曲げ、円を描くように馬体を動かす。安全・安心の騎乗に欠かせないこの基本トレーニングを何度も繰り返し丁寧に行う。そして何か問題が起こればまたここに戻ってくる。本当に大切なトレーニングだ。

 

5月のコロラドの空気はすがすがしい。若い緑が目に鮮やかだ。午前のクラスは8時半から12時まで、午後は1時から4時半までのそれぞれ3時間半。午前のクラスはグランドワークが中心でとなる。午後のクラスは騎乗してのトレーニングだ。
 午前のクラスはまずフラッグに馬を慣らすトレーニング。何度も繰り返しながら時間をかけて丁寧に行う。次いで頸を90度に曲げ、そこから輪を描くように歩かせる。これは4日間ずっと続く基礎の基礎であり、左廻り右廻りともスムースな自然の動きができるまで騎乗することはできない。午後のクラスも騎乗ではあるが、まずは輪を描くトレーニングだ。できるだけ小さい輪をルーズレインで作ることを求められる。連日、この動きが続くが、日を追って次第に動きがスムーズになり、観客席からはあたかも人と馬がダンスフロアで舞踏をしているかのようにも見えてくる。
 事件は2日目の午前に起こった。アリーナで馬が暴れ出したのだ。次の瞬間、馬がオーナーを蹴った。大事は免れたようだが、すぐにバックが手綱を取り調教を始めた。

 興奮した若馬は手綱を取らせまいともがき、暴れる。息を詰める緊張の時間は5分ほど、いや10分に近かっただろうか。会場全体からホッと嘆息がこぼれた。ついにバックが若馬を手の内に収めたのだ。思いがけずバックの調教シーンを見ることができ、その鮮やかな手腕に胸がすく思いだ。人との信頼関係を築けていないこの馬はバックのアシスタントであるアイザックに預けられオーナーはその後、最後まで傍らについて調教を見ることになる。

突然起こった馬の暴走に対して、冷静沈着に対処するブラナマン氏。馬が問題行動を起こす場合の本当の原因は人の方にある場合が多い。それでも馬と対峙し、わずか10分ほどでその馬を手の内に収めた。

 

 バックのクリニックの特徴のひとつがよく響く声とそのなめらかな口調にある。そこにときおりユーモアたっぷりのエピソードを加え、みごとなプレゼンテーションとなっている。ところが、バックは本来とてもシャイで、人前で語ることを苦手としているという。それを不断の努力と経験で克服し今に至るという。揺るぎのない目的を持てば、さほど人は自らを変えられるのだと励みになる。

 バックは参加者だけではなく観客にも常に目を配り、ときどきその質問に答えている。この観客の中にはイスラエルから来たという、問題を抱えた子どもたちを扱うソーシャルワーカーもいた。「信頼を築くこと、敬意を得ること、互いのスペースを大切にすること、そのすべてが人と人にとっても、いかに大切なことか気づかされた」という。
 そう、こうして人と馬は輪を描きながら信頼関係を作っている。そのために多くの時間を必要とするのは当然のことだ。バックほどグランドワークを大切にするクリニシャンはいないといわれる。そこにこそ信頼関係を築く秘訣がある。人と馬が言葉にならない心で会話を交わし合えるまで、こうしてダンスを踊り続けるのだ。

人馬の関係が安全だとみなされたところで、グランドワークで学んだ動きを騎乗からの指示で行う。四肢のバランスを取ることが重要。正しい騎乗運動によって前肢に掛かりがちな重心を後肢に掛ける。これができることで馬の能力がさらに発揮されるのだ。

 

 バック・ブラナマンの人となりを語る時、彼の幼少時代をはずすわけにはいかない。ウィリアム・レイノルズと共著の自伝“The Faraway Horses(日本語版『馬と共に生きる_バック・ブラナマンの半生』訳:青木賢至、文園社)”や映画“Buck”でも触れられているが、幼時より父親から虐待を受けてきた。11歳で母を亡くした後、虐待はさらに激しくなり、12歳で2つ上の兄と家を出た。その後、父親から裁判を起こされ最終的に兄弟が勝訴している。
 幼い頃から馬と親しみ、養父母に育てられる中でも馬の世話をしていたバックは本格的なカウボーイを目指し牧場で働くようになる。そこで、出会ったのがレイ・ハントだ。彼は馬とコミュニケーションを取りながら調教することを標榜していた。当時としては珍しく、ある種胡散臭いと思われていたこの調教法を実際に目の当たりにし、バックは次第に傾倒していく。さらに、レイの師にあたるトムとビルのドランス兄弟の教えも受け、21歳でホースクリニシャンとして独立し、今に至る。
 実は2011年のドキュメンタリー映画が好評であることも影響し、この自伝を元にした映画のプロジェクトが動き出しているという。
「人生の始まりが辛いものであってもそれでその後運命が決まるわけではなく、最終的には未来を自ら選択できることを伝えたい」とバックはその製作意図を語った。

 またバックはロサンゼルスのホームボーイというNPOに協力し、ストリートギャングまがいの生活をしている若者を馬のいる環境に置くという試みをしている。  現在もバックは1年の4分の3はクリニックのため全米のみならず国外にも出向いている。ワイオミングのシェリダンに牧場を持つが、家族とともに自宅で過ごす時間はひじょうに限られている。それでもクリニックを続けるのは参加者の熱意や興味、好奇心に応えるためもあるが、いちばんの動機は馬を幸せにしたいという思いだ。もちろん人間の技術の向上は馬にとってもありがたいこと。溢れんばかりのそんな思いを担いでバックはさらに一歩踏み込んでいく。

バックの馬も若馬だが、すでに強い絆で結ばれている。「今、雷が落ちて馬が驚き逃げ出しても、この馬だけは確実に自分とともにいる」という。バックが1年の大半を過ごすトレーラー。これに乗って全米各地に行く。今回も2月から自宅に戻っていないとのことだ。

 これまで一時的に自分が調教をすることで人間との信頼関係を作り始めようとした馬が、バックの手を離れたとたん、元の劣悪な環境に戻らざるを得ないという経験もしてきた。実は彼は馬を調教しながら、持ち主の人間の心を変えているのだ。映画“Buck”の中で彼は言う。
「馬は持ち主の心の鏡だ」
 問題のある馬は持ち主の問題を反映している。根本的な問題の解決には持ち主に自分の問題と直面させる必要がある。そのために時に言葉が直截的になることも厭わない。それが馬の幸せにつながるのだから。
「だからクリニックはずっと続けていく。クリニックは多くの馬と出会える場だし、自分にとって新しいことを試す場でもあるんだ」
 こう言うバックが最後に「実はワイオミングの上院議員に立候補することも考えている」と言った時、意外ではなく、彼は「馬も人も良くしたい。もっと幸せにしたい」のだと腑に落ちた。

(この記事は、『エクウス』2012年8月号に掲載されたものをベースにしています。)