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ウィーン乗馬事情01_”リピッツァーナ”その名馬としての素養

白馬、リピッツァーナが名馬の中の名馬であることは言うまでもない。よくバランスがとれ、見ているだけでも美しい。しかしリピッツァーナは美しい白馬であるから、名馬中の名馬とされるわけではない。Text:Shozo Izuishi / Photos:Mitsuya T-Max Sada

Lifestyle 2018.10.31

ウィーン乗馬事情01_”リピッツァーナ”その名馬としての素養

王家の馬といわれ、ウィーンのスペイン乗馬学校で人馬一体の華麗な演舞を披露する白馬"リピッツァーナ"。ここではその名馬を生み育てる地「ピーバー」を訪ねて、このたぐいなる馬の魅力をご紹介。

 リピッツァーナはおそらく世界でもっとも賢い馬だろうと考えられている。人間にたとえていえば、ずば抜けて知能指数が高いのだ。かてて加えて姿形が美しい。それはそうであろう。ウィーン、スペイン乗馬学校での舞踊はリピッツァーナ種でなくては演じることのできない卓越した芸術なのであるから。

 時として「神秘の名馬」と形容されるのも故なきことではない。「神秘の名馬」であるか否かを識別するのは、それほど難しいことではない。たいていの場合、腰のあたりにあたかもエンボス模様でもあるかのように、刻印が捺されるからである。

 それは王冠マークの下に、誇らしく“P”の頭文字が配される。クラウン・マークはハプスブルグ家の王冠を意味し、“P”はピーバー(Piber)の頭文字である。スペイン乗馬学校での演技には、ピーバーで教育された馬だけが用いられる。このことに決して例外は許されない。王冠に添えての頭文字には実は先例がある。18世紀には王冠の下に“C”の文字が組み合わされることがあった。これはカール皇帝のクラウンであり、Charles(カール)の頭文字であったのだ。

 それはともかくスペイン乗馬学校でのリピッツァーナはすべてピーバー産である。こここそ名馬リピッツァーナの故郷であり聖地だと断言してよいだろう。

ピーバーがリピッツァーナの聖地になったのは意外と新しく1920年のこと。第1次世界大戦の戦火から馬たちを守ることを目的に計画された。しかし諸事情で、実際に移ったのは戦争終結後になった。

 

 ピーバーはウィーンから南に隔たること約260kmの場所にある。日本にあえて置き換えるなら、東京から浜松へ行く感じであろうか。途中、古都グラーツからは約45km西に、ピーバーはある。ついでながらグラーツは世界文化遺産として登録されていて、中世都市の美しさを今に遺す町である。ムーア川に沿って開かれた景観は一見の価値がある。

 ピーバーは木々の多く、緑の濃い、小高い丘の上に位置する。本館はまるでバロック様式の教会のようである。いや、教会のようであるは、失言であろう。かつては実際にベネディクト派の教会であったのだから。余談ではあるけれど、このベネディクト派の、バロック様式の本館は、1696年から1716年にかけて、イタリアの建築家、ドメニコ・シャッシャの手によって、作られたものである。

 ただし現在のピーバーが「名馬の聖地」となったのは、それほど古いことではない。1920年に、より恵まれた環境を求めて、ここに移転してきたからである。

 

広大なピーバーの隅々までを案内してくれたのは、飼育担当の責任者、ワイス・レオポルトさん。着用しているのは通常のユニフォーム。これとは別に盛装用の制服も用意されているとのこと。またリピッツァーナの中にもごく例外的に気性の激しい雄馬いて、そんな場合には去勢をする。そうすることで、この上なく紳士的な馬になるという。

 

 とにかく、1940年代初頭、第二次世界大戦が激しくなった時、ピーバーのリピッツァーナは戦乱を避けて疎開させた、という事実からもいかに大切に育てられていたかが想像されるだろう。

 ピーバーで私を笑顔で迎えてくれたのは、ワイス・レオポルトさんである。役職は?と、失礼ながらお伺いすると、飼育担当最高責任者とのことである。

 ピーバーには平均して300頭前後のリピッツァーナが居住しているとのこと。これを約30人の職員が文字通り我が子のように育て、訓練している。

 ピーバーの朝は早い。朝いちばんの仕事は厩舎の清掃と馬の手入れ。厩舎という言葉を使って良いのかどうか迷ってしまうほど、清潔で、整理整頓されている。食事は1日に2回。それぞれの馬によって食事の好みが違うので、微妙に配合が異なるのだという。各人各様にメニューが用意される、とでも表現すれば良いのだろうか。

不思議なことにリピッツァーナの仔馬は黒鹿毛、あるいは青鹿毛のような黒い毛色で産まれてくる。それが成長するにつれてほぼ白毛に近い毛色に変わっていくが、その変化の過程はまさにこの馬が誕生するまでの交配の歴史を辿っているのかも知れない。そう考えるとますますこの馬の存在そのものにロマンを感じてしまう。

 

 毎年、ざっと50頭前後の仔馬が生まれる。時期は4月から5月にかけてである。2008年には49頭であったという。両親ともにリピッツァーナ種の名馬であることが言うまでもないが、交配前にあらためて身体検査を行い、完全に問題がないことを確認する。ついでながらピーバーには馬専用の診療所が併設されている。交配は春に行われ、約11ヶ月の妊娠期間を経て出産する。1頭の良好な雌馬は一生のうちに、およそ12頭から15頭の仔馬を生むのがふつうであるという。ただし毎年出産するわけではない。3、4年続けて生むと翌年1年は休み、また次の3、4年の間に出産する。

優れた能力を持つ牡馬と牝馬を厳選して子孫を残していく。この循環で切磋琢磨していくことでリピッツァーナはますます優秀な品種に成長していくはずだが、確かに一部の馬にはその成果が現れるが、思い描いたとおりの能力を発揮しない馬たちもそれなりに誕生する。自然の摂理の難しさであろう。

 

 仔馬が母親と一緒に生活するのは6ヶ月間だけ。この間は主として母乳を飲み、それ以降は自立し、一般食(主として穀物とワラ)が与えられる。

 リピッツァーナたちの生活は毎日規則正しくて、決められた時間になると厩舎を出て、体操の時間がある。それは近くの野原を自由に駆けることだ。馬たちは嬉しそうに走り、自然の恵みである牧草を思う存分食べることができる。

 体操の時間があるだけでなく、夏には別荘での生活もある。夏には標高1500mの高地に移されるのだ。空気の美味しい別天地でのサマーヴァケイション。ここには自然のハーブがふんだんに咲いていて、リピッツァーナの健康にも卓効があること言うまでもない。

 ピーバーでは乗馬はもとより馬車用としての訓練も受ける。が、ウィーンのスペイン乗馬学校には伝統的に雄馬だけが送られる。約50頭のうち、ざっと25頭が雄馬だとして、そのうちとくに優秀な6、7頭だけが選ばれるのだという。エリート中のエリート、「神秘の名馬」の形容がけっして大げさではないことが分かるだろう。

 ところでピーバーでのリピッツァーナは、スペイン乗馬学校にデビューする以外の馬は、基本的に売買可能なのである。すなわち、神秘の名馬を手に入れる可能性はあなたにもあるということになる。