「ハンガリー」と「フン族」の音の類似性と、騎馬民族という共通点から、「フン族の国」から「ハンガリー」となったと、という説があるが、これは俗説にすぎない。フン族がハンガリーで定住したことを示す文献は見当たらないという。そして、この国の精神的な支えとなっているのは「フン族」ではなく、通常「マジャール」と呼ばれる騎馬民族の生き方でありものの見方であるが、その民族の名前をハンガリー語の発音に従うなら「マジャル」と短母音になるという。
なぜ、このような説明を冒頭に加えたかというと、ここで紹介する「プスタ」と呼ばれる大平原こそは、そのマジャル民族の心の故郷であり原風景ともいえる場所であり、それはとりもなおさずハンガリーの人々にとっての原風景ということでもある。
一面の草原が続くホルトバージ。今でこそ放牧に適した大草原となっているが、それ以前はたびたびの洪水に悩まされる土地であった。ティサ川の流れを変える大工事のあと洪水の被害は治まったが、その後、弱アルカリ性の土壌へとなぜか変化していったという。それ故に、そこは農耕には適さない痩せた土地となってしまった。西から流れてくる人も物もここまでは届かない。それがためにここに住む人たちは他民族の文化や伝統に染まることなく、自身が培ってきた伝統的な生き方が、時代を超えて守られることになった。
ここに暮らす人々は羊飼い(ユハース)、牛飼い(グヤーシュ)、馬飼い(チコーシュ)といった職務を与えられ、それぞれが世襲制で続いていった。職務による階級が生まれ、中でもチコーシュはその頂点だったという。
NPOが支える、マジャルの今
腹帯のない鞍と鐙。当然のことであるが騎乗バランスを取るのが難しい。競馬用の鞍にも似た軽量でシンプルな鞍も、脱着のしやすいあぶみの形状もすべて戦の中で生まれ磨かれてきた彼らの知恵だ。
そうした伝統的な暮らしぶりを現代でも守っている人たちがいる。昔と大きく違うのはこの場所が国定公園であり、さらに世界遺産となっていることだ。広大な草原はかつて西から押し寄せる「文化」の防波堤となっていたが、今は独自の伝統を守るべき場所になった。そして、この場所で生きる人々も時代の流れから守られる存在となっている。
そんなマジャルの末裔たちを守っているのはNPOの団体だ。この組織が自然を守り、自然の中で伝統に則した馬との暮らしを営む人々を陰に陽に守っている。そんな暮らしを支えているのが、ツアー客のさまざまな要望に応えて繰り広げられる馬を使った大平原でのショーであり、その運営と管理をNPO団体が行っている。つまり、この平原で行われる広大なスケールのショーは、たんなるアトラクションであるより、もっとマジャルの生活に根差した、伝統の生き方を伝えているのだ。
馬や羊、そしてこの地独特の美しい角を持つ灰色牛、プスタは放牧の聖地だ
かつては馬や牛を使ってこのように物を運搬した。これは長い角が特徴のハンガリーで生まれた灰色牛を使った運搬車。牛の調教はすべて独特の言葉で行われているが、軽く声を掛けるだけでその指示に牛は素直に従うのには驚かされる。
そんな彼らの、大平原を舞台とするこれだけ大きなスケールのショーは、馬好きであるなら一生の間に一度は見ておきたい、そう思わせるだけの価値があるものだ。
このスペクタルなショーを見るために大平原を馬車で行くと、角の長い灰色牛や羊が放牧されているのが見えてくる。目印になるものさえない広大な平原を進んでいくと、遠くにハンガリー独特のアジア風の青い服と帽子が印象的なチコーシュが馬を駆ってこちらに向かってくる。そして目の前に来ると、おもむろにショーが始まった。
鞭を鳴らし、馬を地面に倒し、とデジャブのように、すでに他の場所でも見覚えのあるものだが、彼らの生活から生まれたこれらの技を、この大平原で目の当たりにすると新たな感興を催す。
ところでチコーシュの乗る鞍には腹帯がない。これは鞍さえ持っていれば、戦いの場で一番近くの馬に乗れるという彼らの実戦体験から生まれた知恵だという。
画家の夢に現れたアクロバティックな5頭立ての騎乗スタイル「プスタファイブ」
この草原で暮らすマジャルの厩舎にいる馬たちは、ノーニュース、ハンガリースポーツホースなどの軽快な品種が主体となっている。漆黒の美しい毛並みを輝かせて疾走しているのは5歳の牝馬、パルツァ。
そしてショーの終わりは突然訪れる。まるで旅で出会った者たちが別れを惜しむように互いに手を振りながら別々の方向へと走り去っていく。そうしてしばらく馬車に揺られながら草原を進んでいくと、待ちに待ったプスタファイブが登場する。これは前に3頭、後ろに2頭の5頭の手綱を握り、乗り手は後ろの2頭のそれぞれの背に足を置くという曲乗りだ。実はこれは19世紀末にオーストリアのアルベルト・コッホという画家が夢に見た様子をそのまま書き表した絵が起源だという。絵を見たチコーシュがそのアクロバティックな騎乗スタイルに魅了され、訓練を積み重ねてついに会得し、いつしか大平原の呼び物アトラクションとして知られるようになったのだ。
5頭の馬をみごとにさばき、絶妙にバランスを取りながら疾走する姿は驚異的であるとともに、この大平原でこその醍醐味を感じる。まさにホルトバージを舞台にしたスペクタクルだ。
この光景を見たら馬乗りは自ら手綱を持ちたくなるのではないだろうか。ここでは200頭の馬がライダーを待っている。事前にレベルのチェックがあるが、経験者であればこの大平原を自ら手綱を持って駈け回ることも可能だ。腕の覚えのあるライダーは、ぜひ、ホルトバージ・ライディングにトライしてみてはいかがだろうか。
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